通された部屋で待っていると、さきほどの女性が「過去帳」と書かれた和綴じの本を何冊か持って表れた。
「今住職は休んでいるんで」
そう言いながら彼女は「過去帳」のページを繰っていく。
これが過去帳かあ、横から見るとずらりと達者な筆で文字が書いてある。
墨文字で書かれた太い文字の横に、様々な朱書きが加えられている。
人々のなくなった日、戒名、死因や親族の名前など、ありとあらゆる情報がここには掲載されているらしい。
たろうに情報を確認しながらページを繰っていた奥さんが手をとめる。
「これ、ですかねえ」
あった。小田茂三郎。間違いない。戒名も書いてある。
このお寺がまさに、我々が探していた情報をすべて持っていた。
お位牌があると思いますよ。といって奥さんは私たちを本堂の後ろの部屋に案内してくれた。そこにはずらりとお位牌が並んでいた。
「小田さんは、何軒かあるんだけど・・・」と言いながら彼女が手にしたお位牌には、表面に何人かの戒名が刻まれていた。
彼女が手にしたお位牌を裏返すと、うらにくっきりと「小田茂三郎」の文字が。
「いた!!!」私たちの興奮は最高潮に達した。
スティーブさんのおじいさんが、ここにいた!
お位牌の家紋をたろうさんがアメリカで撮影してきた書類の写真と照らし合わせる。間違いなく同じ家紋。
なきそうになった。
「お墓、いきます?」
敦子さんの言葉に、一も二もなく飛びつく私たち。「行きたいです!」
住職にケータイでお墓の場所を聞きながら、敦子さんが案内してくれたのは、お寺の裏山の小高い場所だった。島の人々の先祖代々がまつられているのだろう、お墓のもっとも密集した場所に、3基の古いお墓は建っていた。このお墓の写真もスティーブさんの持っていた資料のなかに残っていた。