西方寺さんへ

佐島に渡り、さっそく西方寺さんを訪ねる。今度はご住職が待っていてくださった。

敦子さんも同席してくださっている。何冊もの過去帳も用意されていた。ご住職と敦子さんがページを繰り、スティーブさんは息を飲むようにそれを見つめる。茂三郎さんのお父さん、兄弟、親戚、次々名前がみつかる。指差しながらそれを説明してくださる。

 

茂三郎さんは家族を慰霊するために西方寺にお位牌を作っていた。正月に私と太郎が見せていただいたお位牌は、裏に茂三郎さんの名前が彫られていた。つまりこのお位牌を奉納したのが茂三郎さん自身ということらしい。佐島に帰ってくるつもりで準備をしていたらしい、でもその矢先にカナダで亡くなったという。彼のお葬式はカナダで、キリスト教の教会で盛大にあげられている。戒名はお骨が戻ってきた時に、西方寺さんがつけた。亡くなった日付と、戒名がつけられた日がずれているのはそのためだという。深い碧、清い水、つまり海を思わせる美しい戒名だった。

 

新たな事実も判明した。茂三郎さんのお父さんの名前がスティーブさんの資料とお寺の資料とで食い違う。奥さんの名前や亡くなった月日を照らし合わせると同一人物だが、名前が違う。どうやら途中で改名したらしい。裏付けをしていく作業はまるで謎解きのようだった。

 

本堂の後ろの部屋にお位牌を拝みにいく。写真でしか見たことのなかった家紋が、おじいさんの名前が、くっきりと彫られている。

無言で、感慨深げに位牌に手を伸ばし、じっと触れるスティーブさん。ふつう日本人はお位牌に手をあてて祈ることはしない。おかしいような、悲しいような気持ちでそれを見つめる。

 

お寺の裏山を上がったところに、小田家のお墓が並んでいた。古いお墓に書かれた文字をご住職が読んでくださる。スティーブさんの持っている資料にも写真があった、まさにそのお墓だ。匡雄君のお母さんがくれた線香に火をつけ、花を備え、水をあげる。ご住職がお経を上げてくださった。ありがたく、手を合わせる。