以下、鮮烈な印象を残した初来日時のスティーブさんのことを、たろうが日記に記している。長くなるがそのまま引用してみよう。たろうのmixi日記より。
「2007年11月14日、小出郷文化会館で行われたインド音楽コンサート「Cycles」は、伝説的なステージになった。それほどまでに、この日演奏したサロード奏者Steve Odaの音楽は素晴らしかった。会場に集まったお客さんの多くは、この日はじめてインド音楽を生で聴き、その音に涙した。敷き詰められたキャンドルの灯りの揺らめく中、会場まるごとこの世ならざる場所へ連れて行くSteveの演奏を、僕は悔しさと羨望と絶望と陶酔のないまぜになった気持ちで眺めていた。
いつになれば僕は、あんな音楽ができるようになるんだろう。
僕にもいつか、こんな風にラーガと向き合える日がくるんだろうか。
これほど美しいKaushiki Kanaraを聴いたことはなかった。
打ちのめされた。
いつまでも涙がとまらなかった。
舞台を降りたSteveさんは、小柄で柔和な、どこにでもいそうなおじさんといった風体。日本人にしか見えないが、日系三世のカナダ人で、日本語はほとんど話せない。誠実で、虚栄心のない、音楽を深く愛する真摯な人だった。
それは彼の音そのもの。
Steveさんの祖父母が日本を離れたのは1890年。明治22年のことだった。
彼の両親はカナダで生まれ、育ち、Steveさん達を生み育て、そして一度も日本の地を踏むことなくこの世を去った。だから今回の来日は、彼にとっても特別に感慨深いものだった。はじめての日本。祖父の代から数えて120年近くぶりの帰還。
コンサート会場は素晴らしい雰囲気だった。
主催者はじめスタッフみんな、誰一人コンサート運営の経験はないながら、このコンサートを素敵なイベントにするために頑張ってくれているのが伝わってくる。
舞台に敷き詰められた布。背景に飾られたサリーと、「想いの彼方」。
ゆらめくキャンドルの炎。薫きしめられた香木。受付に掲げられたタイトル。美味しいカレーとチャイ。物販。
アンケート回収箱にまで、手がかけられている。
そして、ホールの音響。
とても自然で美しく響く音。
これがいいコンサートにならない訳がない。
関係者には「100人入れば大成功だよ」と言われていたコンサートは、フタを開けてみれば、平日の夜にもかかわらず、その倍近くの人を集めた。
新潟へ向かう朝、僕はMaru Bihag をやろうかと漠然と思っていた。
vilambit tintalはsteveさんにまかせて、じゃ僕はrupakで行こうかと。
けれどもサウンド・チェックでSteveさんの音を聴いて、気が変わる。
会場の幻想的な雰囲気と、香木の香り。
自分の一番リラックスできるラーガでいこう。
という訳で、Puriya Kalyan。
ところが、朝からのMaru Bihagが頭に残って離れない。
意外なほどに強い、その残り香。
おかげでだいぶMaru BihagっぽいPuriya Kalyanになってしまいました。
後半に登場のSteveさんは、前述のように圧巻の演奏。
これはほんとに凄かった。80年代のアリアクバル・カーンを聴いているようだった。こんな演奏できる人が、この世に何人もいるとは思わなかった。
最後に僕ももう一度舞台にあがり、Pahadi Dhunをご一緒させてもらう。
時間をオシてしまったので、終演後は大慌てで撤収。
ぼくらは一足先に打ち上げ会場に向かい、温泉に入る。」