Mosaburo Odaの記録

太郎にとって初めてのアメリカで、スティーブさんは師であるアリ・アクバル・カーンがアメリカに作ったインド音楽の学校、アリ・アクバル・カレッジへの訪問や、カーンサーブのお墓参り、そして幾つかのインド音楽ライブを用意してくれていた。スティーブさんの住むサンラファエルはカレッジのお陰もあり、ザキール・フセインやスワパン・チョウドリーなど多くの著名なインド音楽家が近隣にすんでおり、インド音楽の聖地のようになっているのだという。

 

スティーブさんの家で、たろうは大切に保存されている書類を見せてもらう。移民した人々とその家族は、自分たちのルーツである親たちの記録を丁寧に残し、本にしていた。とはいえ、移民1世たちの生きた時代は100年以上前、写真も貴重だし記録を残しておくパソコンもない。手と足と記憶で集めた情報が丁寧に綴られていた。

 

そこにはスティーブさんのおじいさんやおばあさんの白黒写真や、お墓の写真、生まれた場所、家紋、どのように結婚し、カナダでどのように暮らしたか。日本からカナダに移住してカナダで家族を持ち、生きた、「Mosaburo Oda」さんと奥さんの情報がぎゅっと詰まっていた。

 

大切に包まれたそのコピーはスティーブさんの宝物だった。そのうちの何ページかをたろうは写真に撮って持ち帰った。